2026年、ありたい私のかたち|「なりたい」より「在りたい」を選ぶということ
- Yukaringo
- 1月3日
- 読了時間: 2分

2026年、ありたい私のかたち|「なりたい」より「在りたい」を選ぶということ
2026年、私がありたい姿は、何かを成し遂げた人ではない。
もっと静かで、もっと生活に近い。
良い母であること
立派な母ではなくていい。正解を知っている必要もない。
ただ、話を途中で遮らずに聞けること。
感情を“なかったこと”にしないこと。
そして、自分自身が人生を楽しんでいる背中を見せられること。
心が安定していること
いつも穏やか、はたぶん無理だ。
でも、不安に飲み込まれたまま一日を終えない自分ではいたい。
比較から一歩引いて、「今日はここまででいい」と言えること。
心の安定は、強さじゃなくて戻ってこられる場所みたいなものだと思う。
ちゃんと遊んでいること
遊ぶことは、サボることじゃない。
何かの“役に立つ”からでもない。
ただ散歩したりお絵かきしたり読書したりやりたいことをやる。
そういうものが、人生を痩せさせない。
健康であること
頑張れる体、ではなくて無理をしない体。
疲れたら休んで、眠くなったら寝て、体の違和感を無視しない。
長く一緒に生きていく相棒として、ちゃんと扱いたい。
英語で話せること
流暢じゃなくていい。間違ってもいい。
伝えたい気持ちがあって、それが少し届く。
息子と英語で会話するのは夢の一つ。
仕事ができること
本質を見ている人。
無理に広げず、静かに信頼を積み重ねていく。
「できる人」より「一緒にやりたい人」でありたい。
アートに生きていること
毎日、ほんの少しでもいいから描く。上手くなくても、自分の感情を外に出す。
アートは手段じゃなくて、呼吸みたいなものだ。
ピアノが弾けること
音を楽しむ。少しだけ音を鳴らす。その時間があるだけで、一日がちゃんと閉じられる気がする。
ありたい自分は、遠くにいない
こうして書いてみると、2026年の私は、何か特別な場所にいるわけじゃない。
たぶん、今日と同じ家で、同じように暮らしている。
ただ、・急がなくて・詰め込みすぎなくて・自分を裏切らない
それだけの違いかもしれない。
でも、その違いは大きい。
「なりたい自分」より「ありたい自分」を言葉にしておくと、迷ったときに戻ってこられる。
この文章は、未来の私へのメモだ。
そして、同じように立ち止まっている誰かへの、小さな合図でもある。




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